飯野八幡宮の歴史


こちらでは飯野八幡宮の歴史について書いてあります。また難しくわかりにくい用語についてはアンダーラインが付いていてクリックすると 別ページで解説を見ることができます。


康平6年(1063) 源頼義の奥州合戦(前九年の役)出征時、京都石清水八幡宮を必勝祈願のため勧請したそうです。 (文治2年(1186)関東御領好嶋荘総社として、源頼朝の命で祭祀したという 記録も残っています。)

南北朝騒乱社殿を焼失。建武2年(1335)足利尊氏に訴願して、修復。 建暦元年(1211)御浜出の神事(潮垢離)、貞和2年(1346)流鏑馬の神事が行われるなど、数多くの祭礼行事がととのいました。 室町時代には岩城五郡の総社として、岩城氏を始め一般庶民からも厚い信仰を受けました。

慶長7年(1602)鳥居忠政が岩城平領主となり、現在地に遷座。慶長19年火災に遭い、元和2年(1616)社殿再建。当初は前殿付き流れ造りでありましたが、 延宝2年(1674)の大改修で、三間社こけら葺入母屋造りとなり、幣殿拝殿も建立。
本殿は昭和58年、国の重要文化財に指定されています。

また本地垂迹説では、八幡大菩薩の本地仏は阿弥陀如来のため、境内には阿弥陀堂、釈迦堂、地蔵堂、十王堂、鐘楼などの 佛堂が立ち並び、周辺には16の供僧寺があったといわれます。

飯野八幡神社と称していたが、昭和36年飯野八幡宮の古称に復しました。

例祭(9月15日)に行われる流鏑馬神事は、県指定重要無形民俗文化財となっています。


ご祭神   本 殿:品陀別命(応神天皇
          息長帯姫命(神功皇后
          比賣神(仲姫)
      若宮社:大鷦鷯命(仁徳天皇)

国指定 重要文化財
指 定 昭和58年1月7日(建第2140号)
所在地 いわき市平字八幡小路84

桁行 6.36m、梁間 6.20m、床面積 39.46u


戻る