足利義昭(あしかがよしあき)・・・室町幕府の最後の将軍(第15代)。織田信長に擁立され将軍に就任するが、やがて対立。浅井・朝倉・武田・毛利・本願寺らによる信長包囲網を形成して苦しめるが、次々に撃破されたうえに義昭自身も挙兵に失敗して京を追放される。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)・・・尾張国愛知郡中村の百姓として生まれ、織田信長に仕え、次第に頭角を表す。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国大返しにより京へと戻り、山崎の戦いで光秀を破り、信長の後継の地位を得る。その後、大坂城を築き関白・太政大臣に任ぜられた。豊臣姓を賜り、日本全国の大名を従え天下統一を成し遂げた。
小田原(おだわらし)・・・神奈川県西部の都市。
関が原の戦い(せきがはらのたたかい)・・・豊臣秀吉死後の政権を巡って争われた徳川家康を中心とする派と石田三成を中心とする派の間の決戦。この戦いで勝利した家康は政権を完全に掌握し、徳川氏の覇権を確立した。
徳川家康・・・戦国時代に三河国岡崎に生まれ、人質として忍従の日々を過ごすが、桶狭間の戦い以後、織田信長の盟友として版図を広げ、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、その混乱に乗じさらに勢力を広げ、海道一の弓取りと呼ばれた。豊臣秀吉との小牧・長久手の戦いを経て秀吉に従い、豊臣政権の五大老筆頭に列せられるが、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府(江戸幕府・徳川幕府と呼ぶ)を開く。
大坂夏の陣(おおさかなつのじん)・・・1615年(慶長20年)春、大坂冬の陣の講和条件において、外堀が埋められる際に約束違反で内堀まで埋められて丸裸にされた豊臣方に対して、さらに強硬な恭順案を提出した徳川方に反発して行われた戦い。
鎖国(さこく)・・・禁教と貿易統制を目的とした江戸幕府の政策。日本人の海外渡航を禁止し、外国船の来航を規制した。
徳川綱吉(とくがわつなよし)・・・江戸幕府第五代将軍。「生類憐れみの令」と呼ばれる動物愛護のための諸法令を定めたことで知られる。
生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)・・・徳川綱吉は跡継ぎがないことを憂い、仏教信心と迷信から、貞享4年(1687年)、殺生を禁止する法令を制定した。特に綱吉が戌年であったため、犬を虐待することも厳禁とされた。
徳川 吉宗(とくがわ よしむね)・・・江戸幕府の第8代将軍。幕府権力の確立に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革を行った。
享保の改革(きょうほうのかいかく)・・・江戸時代中期に行われた幕政改革。八代将軍徳川吉宗が主導した諸改革で、先例格式に捉われない改革を行い、寛政の改革や天保の改革と並んで、江戸時代の三大改革の一つと呼ばれる。財政安定策が主眼であった。
大政奉還(たいせいほうかん)・・・江戸時代末期の1867年に、江戸幕府第十五代征夷大将軍徳川慶喜が、大政(統治権)の朝廷(天皇)に対する返上を申し出た政治的事件である。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)・・・尾張国愛知郡中村の百姓として生まれ、織田信長に仕え、次第に頭角を表す。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国大返しにより京へと戻り、山崎の戦いで光秀を破り、信長の後継の地位を得る。その後、大坂城を築き関白・太政大臣に任ぜられた。豊臣姓を賜り、日本全国の大名を従え天下統一を成し遂げた。
小田原(おだわらし)・・・神奈川県西部の都市。
関が原の戦い(せきがはらのたたかい)・・・豊臣秀吉死後の政権を巡って争われた徳川家康を中心とする派と石田三成を中心とする派の間の決戦。この戦いで勝利した家康は政権を完全に掌握し、徳川氏の覇権を確立した。
徳川家康・・・戦国時代に三河国岡崎に生まれ、人質として忍従の日々を過ごすが、桶狭間の戦い以後、織田信長の盟友として版図を広げ、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、その混乱に乗じさらに勢力を広げ、海道一の弓取りと呼ばれた。豊臣秀吉との小牧・長久手の戦いを経て秀吉に従い、豊臣政権の五大老筆頭に列せられるが、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府(江戸幕府・徳川幕府と呼ぶ)を開く。
大坂夏の陣(おおさかなつのじん)・・・1615年(慶長20年)春、大坂冬の陣の講和条件において、外堀が埋められる際に約束違反で内堀まで埋められて丸裸にされた豊臣方に対して、さらに強硬な恭順案を提出した徳川方に反発して行われた戦い。
鎖国(さこく)・・・禁教と貿易統制を目的とした江戸幕府の政策。日本人の海外渡航を禁止し、外国船の来航を規制した。
徳川綱吉(とくがわつなよし)・・・江戸幕府第五代将軍。「生類憐れみの令」と呼ばれる動物愛護のための諸法令を定めたことで知られる。
生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)・・・徳川綱吉は跡継ぎがないことを憂い、仏教信心と迷信から、貞享4年(1687年)、殺生を禁止する法令を制定した。特に綱吉が戌年であったため、犬を虐待することも厳禁とされた。
徳川 吉宗(とくがわ よしむね)・・・江戸幕府の第8代将軍。幕府権力の確立に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革を行った。
享保の改革(きょうほうのかいかく)・・・江戸時代中期に行われた幕政改革。八代将軍徳川吉宗が主導した諸改革で、先例格式に捉われない改革を行い、寛政の改革や天保の改革と並んで、江戸時代の三大改革の一つと呼ばれる。財政安定策が主眼であった。
大政奉還(たいせいほうかん)・・・江戸時代末期の1867年に、江戸幕府第十五代征夷大将軍徳川慶喜が、大政(統治権)の朝廷(天皇)に対する返上を申し出た政治的事件である。
次へ
戻る